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離婚準備 みやびの場合

last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-25 23:00:17

ここは霞ヶ浦警備保障の訓練場、畳を敷き詰めた立派な道場である。

そこに集められたのは道着を着た新人50名。

指導員として彼らの前に立つのは、ピシッと凛々しく道着を着こなしたみやびである。

実はみやび、表向きは”霞ヶ浦警備保障の事務員”ということになっているが、実際には新人の育成と指導が主な業務である。

「強さとは"心技体"三つが揃ってこそ成り立つもの、いずれもおろそかにするべからず!」

指導前のこの薫陶を、最前列で聞いていたムキムキマッチョな若者が笑った。

「それは普通の肉体しか持たない奴の場合でしょ、見てくださいよ俺を、心も技も凌駕するこの肉体!」

確かに見事な筋肉だ。

肩だけでなく胸にも太ももにもちっちゃいダンプ載せてんのかいみたいな、ムッキムキの筋肉。

肩幅も鍛え抜かれて肩パット10枚くらい入れているみたいな盛り上がりっぷり。

おまけに身長が高い、おそらく二メートルは超えているであろう大男である。

「人を守るなんて簡単簡単、弾除けになればいいんでしょ」

毎年一人くらいは、こうした力自慢の勘違い野郎が混ざっている。

これを徹底的に”折る”のもみやびの仕事のうちだ。

「人を守るということは、肉盾になることとは違うわ。あなた、そのご自慢の筋肉で弾丸が防げると思う?」

「少なくとも貫通はしねえだろ」

「甘いわね」

みやびは彼を挑発するかのように、くいくいと手招きした。

「特別指導をしてあげるわ、かかってらっしゃい」

若造はまだみやびを侮っている。

すけべったらしい目つきでみやびの体を眺めまわし、フヘフヘと笑う。

「ええ〜、申し訳ないっすよ、女に怪我させる趣味はないんで〜」

「そう、かかってこないならこちらから行くわ」

いうが早いか、みやびは若造に向かって間合いをつめた。

なにしろ体格差のある相手である。

絵面的にはヒグマに狸が襲いかかるみたいなスケールだったのだが。

「はえ?」

足元を蹴り払われてあっさりと転がったのは、若造の方だった。

「ふ〜ん、なかなかやるじゃん、でも……」

舐め口をききながら起きあがろうとする若造の敵美を、みやびは軽く握る。

その瞬間、若造は、自分が無力化されたことを悟った。

「な……んだ、これ」

掴まれているのは手首、ただ一点だけ。

だが全身の力がその一点に吸い取られ、体を動かすことすらままならない。

「これが鬼心流奥義。鬼心流力学では体の全ての力は関節を軸に外部に向かうと考えられている。ゆえに関節のコントロールを奪って仕舞えば、力の向きを変えることなど容易い……これが技」

完全に無力化した若造の目をじっと覗き込むみやび。

「そして、心。戦いに必要な勝ちたい、生き残りたいと願う心が折れて仕舞えば、そこでもう負けは確定する」

「ひぃ、た、助けて」

「そしてご自慢の体だけど……」

みやびはとらえていた手首をはなし、その手を拳に変えて彼の顔の横スレスレに拳を打ち込んだ。

ダアン!

畳がふわりと浮き上がり、衝撃波で道場のガラスがビリビリと音を立てる。

「アウターマッスルばっかり鍛えても、使う筋肉が脆弱では強いとは言えないのよ?」

泡を吹いて失神している若造には、みやびのその言葉は、一つも届かなかった。

みやびは道場の壁際まで下がってガタガタ震えている新人たちを見回し、にっこりと笑う。

「大丈夫よ、ちゃんと優しく指導してあげるから」

その笑顔が逆に恐ろしい!と、新人たちは思った。

指導を終えたみやびにタオルを差し出す者がいた。

「先輩、お疲れ様」

ニコッと笑うと爽やかさが際立つ彼は竜ヶ崎慎也、みやびが手塩をかけて育てた2歳年下の後輩社員である。

なによりこの男、顔がいい。

祐市も顔が良い男だが、彼が顔立ちの整った正統派美男子であるのに対し、この慎也はタレ目で愛嬌がある顔立ちをした可愛い系美男子である。

さらに程よく筋肉がついた細マッチョであるのが、彼の容姿をますます引き立てている。

新人たちは訓練後で、それでなくともヘロヘロしていたのだが、その中の女子社員の何人かは慎也の笑顔をみてときめいてしまい、完全にノックアウトされてパタリと倒れた。

しかしみやびはこの容姿に慣れきっている。

なんの感慨もなくそっけない態度でタオルを受け取って汗を拭う。

慎也の方も、みやびのそっけなさに慣れきっている。

釣れない飼い主にじゃれつく子犬のように、みやびの周りをちょろちょろする。

「先輩先輩、離婚するって本当ですか?」

こういうことを悪気なく聞いてしまうのも、子犬のような慎也だからこそ許される。

「するわよ、離婚」

「え、いつです、いつです」

「今の仕事が片付いたら」

「あー、そういえば、長期警護の一環でしたもんね、この結婚」

「そうね」

みやびが遠い目をするから、慎也は不安になる。

「なんすか、本当は離婚したくないんすか? 相手のこと好きになっちゃったんですか?」

「最初っから好きだったのよ、だから業務上の偽装結婚でもいい、彼の近くにいたかったの」

「なるほど、うまくいけば好きになってもらえるかもーって打算は?」

「あったわ、石ころだって二年も懐に入れていればあったまるものよ、恋や愛じゃなくてもなんらかの情は返してもらえるんじゃないかと期待もしたわ」

「ところが相手は石ころ以上に冷え切ったクズだったってことですかね」

「そういうこと」

慎也はみやびを励まそうと、殊更に明るい声で言った。

「まあまあ、そんなクズと縁が切れるんなら、よかったじゃないっすか! 俺も手伝いますよ、先輩の離婚に向けて!」

「そう? 本当にお願いしてもいい?」

「ええ、良いっすよ、なんでもお願いしてください!」

「じゃあ……」

こうして慎也は、なし崩しに反祐市派殲滅作戦に参加することになった。

しかも彼が与えられた任務は反社組織への潜入。

「あれ〜? どうしてこうなった〜?」

潜入先は裏組織鴻門会、ホスト崩れのチンピラとしてその末端に潜り込んだのである。

鴻門界は日立家の分家である筑波家と繋がりがある。

だが繋がりだけで筑波家を断罪することはできないため、内部に潜入して祐市に対する暗殺依頼がされた証拠を探すのが慎也の使命だ。

「まあ、良いんですけどね、これで先輩が離婚できるっていうんなら」

慎也にとってみやびは”憧れの女性”だ。

付き合おうとか、嫁にしたいとまでは思っていない。

自分如きが手を出すには高嶺の花だと思っているから。

ただ、その真価を知らない男に好きなように扱われて冷遇されている現状は許せない。

慎也は憧れであるみやびには幸せになってもらいたいのだ。

「そのためにも証拠証拠、証拠探さなくっちゃ〜」

根がチャラい慎也はホストのフリなどお手の物。

すぐに鴻門会の顔役に信頼され、チンピラとして幾つかの簡単な”仕事”も任されるようになった。

まさかそれが、彼の人生最大のピンチを招くとは。

ある日、慎也は日立祐市の妻を"汚す"仕事を言いつけられた。

「あー、ダメっすよ、ダメっすよ、こういうの良くないですって」

黒塗りスモーク窓のヴェルファイアの車内、一番後ろの席で深夜は小声で呟いている。

その隣には縛られたみやび。

まさに今、彼女を拉致っている最中なのである。

「先輩、ねえ、やめましょうよ、みんなで仲良く女をマワすとか、俺には無理っす」

そんな泣き言に、みやびもこそこそーっと囁き声で返す。

「この程度の縄、いざとなったら引きちぎれるから大丈夫よ」

「あーもー、そういうこっちゃないんです」

「腹括りなさいよ、これは証拠を掴むチャンスなのよ。私と祐市の結婚は世間に知られていない、なのに間違いなく祐市の妻である私を攫った、つまり、指示を出したのは身内だって証拠よ」

「いやいやいや、先輩、だとしたら先輩を”汚す”っておかしいから。要求があったら交渉前に人質を傷つけるわけがないでしょ」

「それもそうね」

むしろこの状況、恋愛小説でいうと悪役女が正妻を追い詰めるために仕掛ける罠みたいな……

「いやいや、まさかそれはないか〜」

みやびはすでに離婚しようと心に決めている。

そのために行動もしているのだから、史緒里に恨まれる筋合いはないはずだ――と本気で思っている。

「え、でも、もしかして、史緒里もつかまってたりして! それで悪者が『助けてやるのはどっちか一人だ』って祐市に選択を迫るお馴染みのあれだったりして!」

「先輩、妄想力が強すぎる」

そんな呑気な会話をしている間に、車は港の倉庫街へと滑り込んだ。

その一番奥、古い廃倉庫の前でヴェルファイアは止まる。

「おら、降りろ!」

運転席に座っていた大柄なハゲがみやびを引き摺り下ろし、廃倉庫へと連れ込む。

助手席に座っていた油ぎったパンチパーマの男が、スマホの動画アプリを起動した。

「あんたのよがり顔、ちゃ〜んと撮影してやるからな、この動画と引き換えに、日立祐市には退陣してもらおうって寸法よ」

ここは本当は怯えた顔の一つも見せるべきだろう。

だがみやびは、心底呆れ果ててスンと無表情になってしまった。

「なんだ、本当に普通の誘拐なのね」

「誘拐に普通とか普通じゃないとかあるかよ!」

「は〜あ、本当につまんない」

みやびは自分を取り囲む男たちを見回した。

慎也の他に大柄なチンピラが五人、その一人一人にあだ名をつける。

「右から、パンチ、坊主、金歯、ツーブロ、カエル」

この符牒に、慎也が即時反応する。

「了解、作戦行動を開始」

みやびが2回ほど身を揺らすと、彼女をしっかりと縛っていたはずの縄がバラリと解けて地面に落ちた。

そしてみやびも即時行動。

「金歯とパンチを処理する」

鋭い蹴りが二人のこめかみに叩き込まれる。

「がっ」

「なっ!」

一瞬で意識を刈り取られ、二人の男は地面に伏した。

「さっすが先輩、電光石火!」

慎也も負けてはいない。

「カエル野郎は任せてください!」

五人の中で一番大柄な男に飛びかかり、筋肉の圧を十分にかけてボディプレスでこれを地面に沈める。

「次、坊主行く」

「了解、こっちはツーブロを」

この二人はそれぞれようやく銃を取り出したところだったが、その銃口を上げる暇さえなかった。

みやびは掌底で、慎也は裏拳で、二人の顔面を見事に張り飛ばしたからだ。

あっという間に地面に倒れ伏した五人の男を見下ろして、みやびは嘆いた。

「弱い、弱すぎる」

「いや、先輩が強すぎるんですって」

「彼らを捕縛、拷問部へ連れて行って」

拷問部は霞ヶ浦警備保障の中でも最も秘匿された裏部門、ここに連れて行かれて口を割らなかったものはいない。

この男たちの口から筑波家の関与が語られるのも時間の問題だ。

その証言が得られたら、それをネタに筑波家を”始末”することができる。

「これでまた一歩、離婚に近づいたわね……」

大きな達成感とほんの少しの寂しさと。

みやびは静かに俯いて、こぼれそうになる涙を堪えるのだった。

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